2020年(令和2年)2月の川辺二日市の賑わい(隈元亮一さん撮影)
関西川辺会のご案内
関西川辺会は鹿児島県南九州市川辺町出身者と同市に縁のある人達で、近畿圏に居住する人達を会員とする親睦会です。 毎年6月下旬頃に年一回の総会・懇親会を開きます。総会・懇親会には多くの会員、更に南九州市役所、鹿児島県大阪事務所、故郷川辺会、関東さつま川辺会、かごしま川辺会、等々の幹部や会員の方々が出席され、
直接顔を合わせて近況を話し合い、お互いの健康と現状を確かめ合います。その他にもいろいろな活動を企画実行して、 親睦の機会を作っています。会への入会はいつでも受け付けています。
会に入会を希望する方は幹事長宛て手紙・電話にてご連絡下さい。
肥後会長メッセージ
会員の皆様には日頃より関西川辺会の活動に、ご理解とご協力をいただき頂き厚く御礼申し上げます。
さて、平成元年6月16日第33回定例総会で承認を得て、私が梅橋前会長から会長職を引き継ぐことになりました。勝目小、同中学校を経て川辺高校を卒業しました。後進に道を譲るまで、暫時役員の皆さんと力を合わせながら、微力ですが関西川辺会の発展と南九州市の振興に寄与したいと思いますのでご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
関西川辺会は創立以来33年経過し、会員の親睦と故郷南九州市の振興発展に寄与という主旨を掲げて活動してきました。川辺会々員をサッカーファンに例えるならば、ファン同士が助け合って仲良く楽しみ、地元チーム南九州市を応援しますと言う事になります。今こそ初心に帰り、この主旨を実践してこそ会の継続的発展があると考えています。
これまで会の発展に尽力いただいた創立時の先輩方々を始めとする会員の高齢化により、会員の減少傾向は避けられません。会員の皆様が触れ合う機会を少しでも多く作りたいと、従来の春のお花見会や秋のバスツアー・踊り部の活動に加えてカラオケ部やゴルフ部を新設しました。
また一方、中学高校の同窓生や関西在住の川辺町出身者・家族及び縁ある方々に、年一回の総会・懇親会に出席いただき、この場と席で世代を越えふるさとや近況を話し合いましょう。是非皆様の積極的なお力添えとご出席をお願いします。
故郷の発展に少しでも寄与したい、ふるさとと繫がりを多く持ちたい、いつまでも長く持ちたい、その結果の一つがふるさと納税へと結び付けば最高です。関東さつま川辺会々長の発案で始まった「ふるさと川辺を桜で埋め尽くす」運動の集大成として、そう遠くない3月頃に、故郷の桜名所に会員の皆様が集まってお花見は出来ないでしょうか。
最後に、川辺会の発展に力を尽くします、と同時に会員皆様、梅橋前会長、各役員、の方々のご指導とご協力をお願い致します。
会員皆様のご健勝とご多幸を心より祈念申し上げます(令和元年6月末日)。
関西川辺会沿革
1.誕生の経緯ー木原康男
昭和58年正月神戸鈴蘭台の貴島桂月、律子夫妻の家で、故荒殿悟、いよ子夫妻が出会ったことから始まった。「川辺会をつくろかい」と。
律子さんの弟瑞也君から同期の榎木健治さんと肥後捷人に連絡、律子さんから中島三博さんと木原に連絡「こげな話があっど」と。
具体化したのは、荒殿悟さんと榎木健治さんが昭和60年11月に産声を上げた知覧愛郷会に招待されたことだった。
意気上がる知覧町民熱気に圧倒され「知覧に負けちゃおれんど」と榎木君が木原宅にやってきた。昭和61年4月から62年1月までは連絡と世話人集め。
第1回世話人会議が1月16日関電顧問上之園親佐さんの世話で大阪北の中央電気倶楽部で25名で開催。
最初の仕事は関西在住川辺出身者の名簿作りだった。ワープロもない時代手書き原稿を印刷屋に持ち込んでの仕事だった。 名誉会長川畑愛義、貴島桂月
、会長上之園親佐、副会長中島三博、榎木健治、事務局長荒殿悟、事務局会計木原康男のメンバーだった。 600名程の名簿で、昭和62年4月第1回目の総会が天満橋の錦城閣で273名集まって開かれた。一部屋に入りきれず、二部屋に分散しての開催だった。
嬉しい悲鳴の思い出だ。
昭和63年5月の第2回総会は外園川辺町長の協力で名簿が整理され、618名の参加で盛り上がった。 川辺町大坪欣市「きんちゃん一座」が出演、清水摩崖仏太鼓に始まり岸壁の母で大盛況だった。
平成元年1月26日当会生みの親の荒殿悟さんが死去、葬儀には川辺会多数の参加で見送った。悟さんのの情熱がなければ川辺会は生まれなかっただろう。二代目事務局長は榎木健治さんが引き受けてくれ、木原との二人三脚で関西川辺会の15年を引っ張った。
関西川辺会が30年の長きに亘って発展出来たのは、荒殿さんや榎木健治さんの川辺を愛した情熱が若い方々に引き継がれているからだと思う。今後とも川辺の発展を願い、交流を深め、関西川辺会、関東さつま川辺会、故郷川辺会、鹿児島川辺会、それぞれの発展を念願して筆をおく。
(注:上記「誕生の経緯」は当会相談役木原康男さんの手記から抜粋。写真:相談役木原康男さん)
2.この10年を振り返ってー梅橋弘芳
平成17年6月第19回総会にて木原康男先輩より幹事長を要請され、いささか躊躇したが快諾したと思う。早速、次20周年総会々場探しにポン友の池田寛・田中徹朗の両氏と出かけ、ホテル大阪ベイタワーを仮予約出来た。その後現在まで関西川辺会の総会々場として定着している。引き続き20周年記念総会準備に取りかかる、記念イベントの選定、広報誌の原稿募集と編集、資金集めの協賛広告募集など大変だった。知識経験もなく不慣れな事も多かったが、多分独断専行でやっていたと思う。お陰様で第20回記念総会は310余名と前年を大きく上回る盛況で、時の中島三博会長、来賓の東川辺町長の各氏と成功だったと喜び合った。
平成22年第24回総会から松薗滋会長とタッグを組み今日に至っているが、彼とは高校時代のクラスメートで気心の知れた同期の桜である。卒業以来会う機会もなかったが、この関西川辺会で会長・幹事長という立場で出会うことになり、まさに奇遇である。幸いな事に私達の周りには高校時代の同級生が10数人おり、彼らとは時々昼食会で集まる遊び仲間で、関西川辺会役員にもなって頂き軍団として大きな戦力となっている。また、藤田自動車の藤田清信氏・奥様の玲子さん、田仲信子さん、にもご苦労様とお礼を言いたい。特に、玲子さんは総会や役員会のメンバー招集、広報誌の協賛広告募集、鹿児島県人会総連合会の行事参画、当会の「川辺会美女連」会長、等々何事にも積極的で随分助けられた。会計担当田中徹朗氏(第20~24回)、田中国昭氏(第25~30回)には事務局長も兼任して頂きご苦労をおかけした。特に会計の面では、いつも赤字ギリギリの運営で心労が絶えなかったようだ。故郷川辺会大坪憲一さんにも随分お世話になった。
第20回から第30回総会の10年間は故郷川辺や関西地方も大災害なく平穏無事な期間だった。
喜ぶべきは、この頃故郷が大きく変わったことだ。一つ目は平成19年12月に川辺町・知覧町・頴娃町の3町が合併し、新たに南九州市が誕生したこと。二つ目は平成24年3月新大阪と鹿児島間の九州新幹線が全線開通により4時間足らず行き来出来るようになり、又川辺から鹿児島まで縦貫道路も出来てアクセスアップし、今や日帰りで故郷へ帰る事が出来る時代になったことだ。故郷川辺を桜で有名にしようとする「ふるさと川辺桜基金事業」の植樹を、関東さつま川辺会・かごしま川辺会・故郷川辺会・地元のボランティア団体等との協同で実施したのも平成24年2月である。更に、この10年間は当会自身でも交流親睦の場としてお花見会や日帰りバスツアー等を定期的に実施したこと、上部団体鹿児島県人会総連合会の活動にも積極的に参加し交流の輪を広げた事などがある。
高齢化が進み会員の漸減する事が予想される。現会員は戦後大挙して関西方面に就職した一世達が主体であり、その子供、孫の二世三世達は殆ど無関心で期待出来ない。当座は口コミで新規会員を発掘するのが最善策と思うが、当総会の中で中学校、高校同窓会等を同時開催して会員増を図るのも一策である。しかし、やがては極端に会員が減少する事も覚悟しておかねばならない。関西川辺会・関西知覧愛郷会・関西頴娃会は会員数も総会規模もほぼ同じであり、育った環境、生活様式、人間性も似たもの同士、大同合併する時も来るだろう。先輩達が築き上げてきたこの立派な会、何とかして後輩に引き渡すことが出来た。
日課の散歩の道すがら、村中の小さなお寺の前を通る。門前の掲示板に「心のしおり」が張ってある。今日のしおりは「振り向けばご恩になった人ばかり」、川辺会の役員はもとより、多くの会員皆様、故郷川辺の皆様、その他多くの皆様にご贔屓頂いた。心から感謝申し上げます。(注:上記「この10年を振り返って」は2016年6月の「創立30周年記念誌」幹事長梅橋弘芳さんの記事から抜粋。写真:幹事長梅橋弘芳さん)
3.年表
- 1987年4月
- 第1回関西川辺会発足記念大会 京阪天満橋「錦城閣」273名参加
- 1988年5月
- 第2回総会。大阪難波「味園」618名参加
- 1993年9月
- 川辺町小野地区大災害に義捐金募集と贈呈(関東さつま川辺会と共に)
- 1995年1月
- 阪神大震災への義捐金募集と贈呈
- 1998年11月
- 向吉悠睦作「やすらぎ観音(聖観音像)」川辺町に贈呈
- 2006年6月
- 20周年記念総会 大阪弁天町「 ホテル大阪ベイタワー」310名参加
- 2007年12月
- 南九州市誕生(川辺町、知覧町、頴娃町、の三町合併)
- 2012年2月
- 「ふるさと川辺桜基金事業」で桜植樹
- 2016年6月
- 30周年記念総会。大阪弁天町「 ホテル大阪ベイタワー」275名参加
- 2018年6月
- 32回関西川辺会総会。大阪弁天町「 アートホテル大阪ベイタワー」262名参加 外部招待「コパ・サンバチーム」が賑やかにサンバを踊る
- 2019年6月
- 33回関西川辺会総会。大阪弁天町「 アートホテル大阪ベイタワー」220名参加 会員同士の懇談の時間を設ける
- 2020年6月
- 34回関西川辺会総会中止 新型コロナ感染防止の為
- 2021年6月
- 35回関西川辺会総会中止しましたが「創立35周年記念誌」発行
- 2022年6月
- 36回関西川辺会総会中止 新型コロナ感染防止のため
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